名社長であった田中君には、毎年かっての部下が遠くは鹿児島・宮崎より集まり、嬉野温泉で謝恩の一席を設けて呉れるのである。今年は東納君を見舞い、35分隊の池田伍長に挨拶せんと一日早く来福し、既報の忘年会出席の翌9日長崎に向かった。
池田氏ご夫妻(矢矧の測的長で枕崎平和記念慰霊展望台を守る会の会長、建築家として有名ー日本設計創始者、ハウステンボス設計同社長、建築学・家協会名誉会員、科学大学名誉教授の他名ヨットマンでもあられる)
ご令室様は洗面器の水も怖い方であったが御主人のため努力され、東京~長崎のセールにも同行されるそうである。
お住まいはハウステンボスの南約20キロの琵琶首鼻の突端にあり、地元では大先生ご夫妻と敬われておられる。
自ら設計され釘一本無い文化財のようなお住まいで、広い板張りは海に突き出、左回りに海が広がる。定置網が仕掛けられ、多良山系が遠望される。
新西海橋 左に「新高山登れ」の無線塔
東納君前回に比しふっくらと血色良く気力一段と充実
我等の1号生徒池田武邦氏には一度拝顔の栄に浴したいと念願して居た。それは35分隊のクラス諸兄の個性豊かでしかも比類なき団結の根源を究めたい為である。今年4月7日の第2艦隊(旗艦大和)慰霊祭でのご挨拶を拝聴し、その念を益々強くしていた。この度お会いした感想は失礼ながら 凛とした青年海軍士官其の侭の中に優しく包容力抜群、筋の通った話は短節で「3号生徒は皆個性豊かで優秀であった」とあくまで謙虚であられた。駄文は擱こう。「この伍長生徒にして35分隊あり」、立派な72期1号生徒に恵まれたあの日あの時、今も続く篤い思いを語りながら一路嬉野を目指した。