西迫兄の七回忌と夭折されたご長男の十三回忌とを併せた法要が、今日20日北九州市のご自宅で行われました。クラスから5人、長男の高校・大学時代の友人と家族11名(小生が予想もしなかった多数)が参列しました。以下西迫七回忌に話を絞ります。
会社の倒産、追い打ちをかけた西迫の急逝。爾後の6年間は、ご夫人にとって余りにも厳しい苦難の道でした。耐えに耐えてこられた夫人は苦渋の決断をされました、”過去と訣別し、長女一家と慎ましく暮らそう”と。
これが今回の法要の意義であり、クラスへの呼び掛けを最小限の近隣親友に留めた所以でした。夫人から相談を受け連絡役を一緒に勤めた三上兄共々、クラス諸兄への非通知を何卒ご海容賜りたくお願いします。
それでも、趣旨を伝え聞いた東京の中村慶典・是枝、関西の亀井・田中静・成松、熊本の岩本各兄から、「参列は遠慮しよう、その分せめてご仏前に」と、手厚いお供えが送られてきました。
本音は上記の通りですが、参列者はみんな思いを胸に収めていました。読経は1時間を超えて粛然と行われ、続くお齋の席も華やかに供され、和やかな歓談で両仏も成仏できたことと思います。
(住職到着前の仏壇と西迫の遺影)
(お齋終了前の夫人とクラス)
前列左から塩足、西迫夫人、堀尾、後列同甲斐、森本、大谷。バックの額は西迫の兵学校卒業証書。
この部屋でご馳走になり、或いは泊まっていったクラスは、多分述べ3ケタもいい処でしょう。
なお、出席予定の三上・渡辺両兄は、東納兄の告別式参列のため佐世保へ行ってくれました。
因みに、夫人は間もなくお邸を引き払います。