地震発生は 荻窪駅停車中にて 揺れに揺れ 車体があるいは倒れるかと思う程であった。駅の外も大勢の人で 携帯を掛けるも不通。果て如何する?そうだ慶典兄の所で休憩と タクシーが来ずバスで探し求めて飛び込む。快く迎え入れて呉れ美味しい茶菓等頂き一安心するも、テレビの報道は厳しくなるばかり。電車復旧の見込みなし。何とかタクシーを拾い宿の市ヶ谷にと腰を揚げんとするや、折良く来宅中のお孫さん圭佑君(24歳)が「僕送りませう」と言って呉れ、地獄に仏とばかりに午後5時半過ぎに軽やかに出発する。ところがである。甲州街道に出るや都心に向かう車も逐次に混むばかり、中野付近からは帰宅と思われるサラリーマンが長蛇の列で西に向かう。圭佑君 少しでも早くと知恵を絞りながら運転して呉れるも中々思うに任せず。果てさてどうする?兎に角降りて歩こう。だが10キロは無理だ。新宿駅の300メートル手前で時間は午後9時。圭佑君の帰宅は朝になるぞ。此処だとばかり 有難うの一言で飛び降り、久し振りに歩兵の行進。あと4キロ半だと言い聞かせながら、人混みを逆行しながら四谷ー市ヶ谷に向かう。駅の構内あるいは公共の建物には一夜を明かす為か大勢の人人、中には敷物を広げかけている人もいる。四谷4丁目は元気に過ぎたが、3丁目に来ると脚は棒、歩行器が出来とればと悔やみながらも、兎に角前え。最後はヨレヨレであったが10時15分無事ホテル到着。途中カメラを回したが慌てたのか「動画」になっており、写真が無くて申し訳ないが、一番強く感じた事は「日本人は素晴らしい」と云う事である。それは このような事態になると多くの外国では暴動。略奪等が起こる所だが、皆明るくなかには笑顔さえ見せながら歩き、大げさにいえばピクニックを楽しんでいるようだった。被災地の人々にお悔やみを申しあげながらも、日本の未来は大丈夫だと、一人肯きながらの行進であった。爽やかで親切な圭佑君有難う。帰宅は午前1時過ぎであったとか、本当に有難う。中村夫妻お世話になりました。