既報の故丸尾義之君の葬儀は予定通り行われました。Canada在住の多々良は予てから談話室を精読しているので、故人に献花と弔文を打診。早速応諾あり準備に入る。どうしたことかmailが文字化けのため判読困難。葬儀2日前に無事着信。 弔文を添付にして成功。ただし一般文章は文字化けのまま。正式の弔辞は小生のを含め急きょ作成時間内に完成。
クラスの弔問者は是枝(9分隊)に堀本、渡辺、中村(19)の4名。 弔辞は斎場の女子職員の代読で一般弔問者に感動を与えた。 以下多々良の弔文を紹介。
もう40年も昔、VancouverからBrititish Columbiaの北の方に出張した貴様と、オーロラの話をしたこ
とがありました。そのオーロラが、貴様が旅立った21日夜には、Vancouverでも見えました。Vancouverの
スキー場の山の上に。
1960年代、再建日本の最前戦の北米には、ネービーが沢山いました。貴様は鉱山会社、そして堀本が船会社、俺は水産と三様の取り合わせであった。Seattleから堀本が来る度に3人で74期にのミニクラス会を開いたね。俺の至福の記憶、貴様との思い出となった。
江田島で貴様と堀本は赤レンガの19分隊だった。戦後を強い絆で結んだ第19分隊会でしたね。
堀本の流暢なnativeなEnglish に、貴様の発音は日本流だが、立派に話が通用した。貴様の英語は何と勇気づけられた事か。北米の最前線、日本の鉱山会社を代表する身さまは実に見事だった。
白人社会のの中で、丸尾家との家族ぐるみの交際の楽しかったそのひと時を忘れない。今でもNorth
VancouverのWest Viewや市内のKnight St.を通るたびに、あの頃を思い出す。
愛子さん思いの限りなく優しい貴様の姿。仲睦まじいお二人は、俺の手本だった。正之君と務君と歓声を上げて遊んだ日々を、俺の娘たちも忘れません。有難う丸尾君。
Vancouber空港から貴様たちが先に帰国した日のあの喪失感、それを今また胸にしています。先に逝っている堀本夫人と俺の家内にもお会いすることでしょう。その時は俺は寂しいが、まだしばらく頑張るらしいとお伝えください。
そして、これからも、愛子さま、正之君、務君、そして我がクラスをお守りください。 有難う、丸を義之君。
平成24年1月28日
カナダ国バンクーバー在住 多々良 薫
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