本日談話室に時々登場する殿谷 章氏より海上自衛新聞平成24年9月28日号の
切り抜きが送られてきた。 それによると昭和18年9月27日零式水上偵察機が
試験飛行中に稚内市サラキトマナイの山中に墜落し、搭乗員三人が殉職したが、
事故直後からかん口令がしかれたため、戦後は訪れる人もなく、墓標も判らなくなって
いたところ、遺族からの希望で稚内市役所、地元有志の捜索で墓標を発見し、その後
新しい墓標と慰霊碑が昭和63年9月に完成し現在に至っている。
今年7月31日小雨降る中稚内基地分隊員の清掃奉仕で墓標、慰霊碑が清められ
稚内自衛隊協力会相談役の海兵74期佐賀 暁兄の参列のもとに、殉難者を偲び
献花・黙祷を行なった。
以上が記事の概要である。
この記事を読んで、かねてより自衛隊に協力し、特に慰霊の行事に率先参加する
佐賀 暁兄に敬意を表します。
慰霊祭の状況(海上自衛新聞掲載のコピー)
殿谷さま有り難うございました。
(写真使用多謝)