愛媛県四国の西端、佐田岬伊予湾に面する瀬戸湾が三机基地である。大分県から伸びている水道、早吸の瀬戸で豊後水道に通じている。人口は少なく岩佐直治中佐(65期)等10名が、昭和16年12月8日真珠湾に突入する半年前、ここで最後の訓練をされた前進基地である。
我々蛟龍(特殊潜航艇)16期艇長が、三机基地に進出したのが20年の7月10日頃であったと思う。私が連日訓練に出るのに先輩・期友の姿は無く、74期最初の出撃については、鹿児島出身の私が、故郷の沖で戦死するのは本望であった。終戦があと5日延びていたら現在の私は無かったであろう。
(以上)
上記記事は、佐賀 暁君から送ってきた慰問袋の中にあった手紙を、依頼により是枝が転記掲載しました。数年前までは「道北便り」で談話室も賑わっていましたが、諸般の都合で中断していますので、是非再開をお願いしたいものです。
(終り)