70年前の今日12月10日は諸兄ご存じの通り「マレー沖海戦」のあった日です。飛行機が戦艦を撃沈する等考えられなかった時代に、日本海軍航空隊が手本を示し、3年後には不沈戦艦大和がアメリカの航空機に撃沈されました。
マレー沖海戦から数日後の18日、英国の不沈戦艦プリンスオブウェールスと新鋭巡洋艦レパルスを撃沈した航空隊の一人、壱岐春記隊長(62期)は、この日の作戦終了後の帰路、用意してあった大きな花束を投下された。一つは散華した味方勇士の霊に、もう一つは勇敢に戦った英国極東艦隊の戦死者に捧げたものだそうです。正に「武士道の鑑」であるが、このことは国内ではあまり語られず、むしろ英国で大変な反響であったと聞いています。
大先輩62期は現在2名の生存を知っています。一人は堀之内芳郎氏で高田 忠君が詳しく、もう一人の平塚清一氏は、国分寺市に在住で、極端な難聴ながらディサービスに出掛けれる生活を送っておられます。平塚夫人はクラスの故田中敏男君の実姉で、最近まで東京6区の準会員として会合にも出席しておられました。
又昭和19年の12月10日、我々74期の航空班288名が江田島から霞が関に移動した日です。数日前の東海地震で東海道線不通、中央線から常磐線に乗り換え午後8時頃荒川沖駅で下車。そこには71期の寧猛な教官が待ち受けていた。
1昨日12月8日の日本経済新聞に、「大使館怠り説を覆す?真珠湾攻撃、遅れた最後通告ーーー」なる記事がでているそうです。殿谷さんからお知らせもありましたが、クラスの飯塚邦保君からコピーが送ってきました。
談話室は有り難きかな。
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