森本君が館山のことを書いていたので 昔を思い出して筆を執りました
当時佐世保の湾口にある高島と言う島の高角砲台の指揮官をしていました 毎日の空襲を遠くから眺め何とか一矢報いたいと色々考えたのですが 空襲の後湾口で編隊を整えることが分かつたのでした そこで先ず湾口までの距離わ測距儀で測りそれに風 信管 その他必要データを調べ敵機が湾口に来た時弾幕射撃をすることにしたわけです ところがこれが見事にあたりp51の一番機を撃墜することになつたのでした 当時佐鎮の防空司令所は弓張岳に置かれていたのですが早速砲術長からお褒めの言葉をいただき部下からも信頼される結果となりました 其のあと戦闘機による銃撃も受けましたが幸い戦死者を出すこともなく済みました 戦後聞いた話では米軍きっての名パイロットだったそうです 戦争とはいえ人を殺すのは嫌ですね