我々は電波探知機を勉強せよということだった。毎日のようにB29が富士山を目標にやってきて東京方面に進路を変え焼夷弾攻撃をしていく。帰りに護衛のグラマンが藤沢航空隊においてある「オトリの飛行機」に機銃掃射をしたりしていた。司令は上田大佐である。この方は
艦長をしていたが艦が撃沈され多数の戦死者を出したが自分は奇蹟的に救助され、航空隊の司令としてきた方である。 背は小さいがまことに豪傑であった。いつも地上の指揮台で
対空戦の指揮を執っていた。(多数の部下を失ったので自分の死に場所を求めていたように
感じられ、部下が「司令、防空壕へ」 といっても聞かなかった。
そんな司令から「候補生は全員防空壕内の司令室に集まれ」・・・・・ という指示があった。何事かと思った所 「今日は貴様たちに洋食のマナーを教える。・・貴様たちは兵学校ではそんなことは習っていないだろう。・・・遠洋航海も無かったろうから礼儀作法を知らないだろう。
帝国海軍将校は外で恥をかくことのないように」 ・・・・・といってフルコースを昼食に出した。
そのつど説明を聞きがら司令との会話を楽しんだのである。
歴史にある織田信長が決戦を前にして酒宴を催し、舞を舞ってから 出陣した心境に似たものを感じた 。
また広島の海軍工廠が爆撃を受け保管していた海兵77期生徒用の短剣が焼失したので
海兵の生徒に短剣が無いと困るので士官は後輩のために供出せよとのことだった。
我々は短剣を供出し以後は日本刀を帯剣することとなったのである。