60年前の今日(4/6・0200)大和退艦 駆逐艦花月に移乗す。 後3時間30分後に思い出の青竹を伝って大和退艦の瞬間の時が訪れる。その時の模様を思い浮かべて一節を紹介します。
乗艦3日目の4月5日午後6時水上特攻沖縄出撃の命令を受けた。ガンルームに戻ると、「身廻品ノ整理ヲ行エ!不用品ハ後甲板ヘ!」「傷病兵退艦用意!」の艦内放送があり、暫くして「酒保ヲ出セ!」の令が下る。
ガンルームにも酒が運ばれ、ケップガンの音頭で「天皇陛下万歳!」を三唱し、成功を祈って乾杯、なみなみと注がれた茶碗の酒を一気に飲み干す。初めてで最期の死出の旅の杯、何の味気も無く酔いもしない。昔も今も出陣出撃の直前に行う酒盛りの意味と効果が解るような気がした。
斯うなる事を予期し卒業直前に決意を認めて両親に託していたので何も思い残す事はなかったが、卒業式の前日突然親父が訪れ別れ際に「死ぬばかりがご奉公じないぞ!七転八起だぞ!」と頻りに叫んだ親父の声がこびりついて離れない。父の諌めも叶えないと覚悟を決めたその時だった。艦内スピーカーは「新着任ノ候補生総員退艦用意!」の艦長命令を伝えた。
先任の阿部一孝他2、3名の代表者が副長に出撃同行を懇願に行ったが………(省略)……………艦内は既に身廻りの整理もおわり、各部署毎に壮途のの宴が盛り上がっている模様であった。
時刻は4月6日午前2時、大和へ燃料補給のため横付けした駆逐艦花月に、油送管を縛り付けて大和へ渡してある青竹(真竹)を伝って駆逐艦へ移乗する。舷門甲板で副長や諸先輩(詳細は不詳)達に一人ひとり握手をしながら「成功を……、頑張って……、願います……、後の事は確かに引受けました……」等と各々決別の詞を交わして駆逐艦へ移乗した。
駆逐艦の艦橋と大和の上甲板とは7~8mもの差があり、降りるのも暗闇の真夜中だったし、第一種軍装で腰に短剣、片手に軍刀を携えて、真下は蒼黒い海がキラキラ光っている上を青竹を伝って、駆逐艦花月へ。
候補生が移乗が終えた頃には給油作業も終え、花月は静かに大和を離れ徳島港へと向かった。
60年前の事、思い出すがままに書き述べたに過ぎず、年を重ねるうちに自信が無くなりつつある。記憶力の旺盛な方、違っていたら、遠慮なく修正を願いたい。
なお、この記事を読まれた大和乗組み(矢矧乗組みの方でも構いません)の方、是非とも思い出の一つでも紹介して頂くようお願いします。宜しく願います。