小倉に関わりあるコメントの多さに驚き、感謝し、流れ者の私が知ったかぶりで披露することに引け目を覚えながら、続けます。
小倉駅2階正面の回廊に、「無法松の一生」で名を馳せた小倉祇園太鼓の像があります。1939~40年雑誌に連載され、43年我々が3号の時に、阪妻の主演で映画化されました。小倉の荒くれ者だった人力車夫・富島松五郎が、偶々知り合った陸軍軍人の急逝に心を痛め、未亡人と遺児に誠意を尽くします。畏敬の気持が淡い慕情と変りますが、彼は身分の差を弁えて以後は僕の如く奉仕します。彼に生涯を通じて感謝し続ける彼女、しかし遺児(長男)は成長につれて彼と距離を広げます。義理人情と世間の目、やるせない物語です。
時の内務省は、「陸軍軍人の未亡人の恋沙汰は将兵の士気を挫く」として、検閲に当たり大幅にカット。戦後リメイクされた映画も、GHQが「封建的な戦前社会である」として、またばっさりカット。これが却ってこの物語を有名にしました。
ここで回れ右をすると、小倉伊勢丹です。
2004年にオープンしました。以前は小倉井筒屋、その前は小倉そごう、いずれも経営不振で閉店した曰く付きの場所です。いま三越と伊勢丹の経営統合が注目を浴びていますが、福岡県では、福岡天神に岩田屋(地場資本ですが現在伊勢丹の子会社)と三越が隣接して鎬を削っており、北九州にはこの店もあります。経営戦略は大変でしょうね。
無法松に力が入り過ぎて、何ともバランスの取れない紹介になってしまいました。