9月12日(金)1800スプリットに着きました。ドライバーもやっと慣れてきたようです。
此処は、ローマ後期の皇帝ディオクレティアヌスが305年に退位し別荘として宮殿を作った所で、完成には10年掛かったそうです。
9月13日(土)は曇でしたが0920頃ホテルを出て観光を始めました。城壁に囲まれた旧市街は金(北)、銀(東)、銅(南)及び鉄(西)の4つの門を持っていて、南側は皇帝の住居、北側は護衛兵士や皇帝付役人の住居になっていたようです。旧市街は1979年世界遺産に指定されています。
現在広い道路になっていて海側には公園、城壁側は商店街になっている銅門の外は昔は海で、銅門は直接海に面していたとのことです。そのため、銅門の地下は倉庫や牢獄になっていて高潮の際には此処に海水が入り上の宮殿を支えたそうです。
① 宮殿中庭のスフィンクス ディオクレティアヌスがエジプトから持ってきたというもので、当時のローマの隆盛を思わせます。
② 聖ドミニウス教会 ディオクレティアヌスは宮殿の中に自分の霊廟を作りましたが、次の皇帝コンスタンテヌスはキリスト教を認めましたので、ディオクレティアヌスの死後(彼はこの別荘の完成以前に死んだようです)彼に迫害されていたキリスト教徒たちは宮殿を不法占領して移り住み、彼の霊廟を教会に作り直しました。従って、この教会はでも最も古いカソリックの教会だそうです。
③ 銅(南)門の外 現在はこのように公園(城壁側は商店街)になっていますが、昔は海の中だった由。
④ 宮殿中庭にて集合写真 写真の左手は聖ドミニウス教会。こんなに観光客が多い日でした。
観光終了後昼食、1430頃ドブロクニクに向いました。この途中僅か数kmの区間ですがボスニア・」ヘルツゴビナの領土になっています。1707その国境を越えてボスニア・ヘルツゴビナに入り、ネームという町で休憩しましたが、特に港湾施設が立派であるわけでもなし、何故ここに外国が入っているのか判りません。内戦の妥協の産物なのでしょうか。ネームを出て再びクロアチアとの国境を通過しましたが、検査は何もありませんでした。夜ドブロクニクに着きました。