大正15年4月29日この世に生を受けた私は昭和17年12月1日海軍兵学校に進み談話室
の諸兄と共に勉学に訓練にいそしみ戦雲急を告げる昭和20年3月30日海軍兵学校を卒業し
それぞれ実戦部隊に配属となった。私は藤沢航空隊で電波探知機の勉強をした後、佐伯航空隊
にて日夜戦闘配置についていたが、昭和20年8月15日正午昭和天皇の玉音放送により終戦
となった。時に20歳でした。83歳を過ぎた現在、よくぞここ迄生きたもんだと思わざるを得ません。
幾多の激浪の人生を顧みる時多くの人々の善意に助けられた大いなるめぐみを感ぜずには
居られません。その最たるものは昭和天皇の戦争終結のご聖断であります。
未曾有の国難にあたり、身命をかけて日本国、日本国民を護り給うた昭和天皇の御製を掲載
させていただきます。 (昭和天皇のご心情)
①爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
②身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
③国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり
④海の外(と)の陸(くが)に小島にのこる民のうへ安かれとただいのるなり
昭和天皇は869首の御製を詠まれておられますが、上の御製は木下道雄(侍従次長)が昭和
41年1月に「宮中見聞録」を世に出されて初めて一般に知られた御製と言うことです。
昭和天皇はこの他にも靖国神社に関するものや、沖縄に関するものがあります。その御製を
掲載させていただきます。
昭和61年8月15日終戦記念日
この年のこの日にもまだ靖国のみやしろのことにうれひはふかし
昭和62年沖縄に思いをはせて
思はざる病となりぬ沖縄をたずねて果さむつとめありしを
昭和63年8月15日全国戦没者追悼式 (最後の御製)
やすらけき世を祈りしもいまだならずくやしくもあるかきざしみゆれど