先日青木和男兄から渡辺へ朝日新聞広島版に掲載された「海軍兵学校74期の場合」として
海上特攻第二艦隊に関する記事のコピーが送られてきた。クラスの数名にも送ったようだ。
内容は朝日新聞呉支局において、終戦企画として9月5日に急逝した「景山崇人」兄の聞き書き」
で、9月9日から5回の連載である。景山兄が大和配属だったので大和に関する事柄については
詳しく書かれているが、矢矧に関してはわずかであった。「聞き書きシリーズ」なので人柄を表す
記事が多く、景山兄を偲ぶにはふさわしい内容である。
74期の候補生は大和に42名、矢矧に24名配属になっている。出陣間近になって候補生全員
退艦せよ。との命令が出された。大和の候補生は一緒に連れて行ってくれ。と嘆願したが許され
なかったことや、竹竿を伝って退艦したこと等伝えられているが、矢矧の候補生はどうだった
か。 福岡地区のクラスに矢矧に配属された青木和男が居るので、彼に事情を聞いたら、
平成18年5月27日に三校合同クラス会で卓話した時の原稿のコピーが送られてきた。
その内容は今まで知らなかった事柄が多く、之はクラスに知らせた方がよいと考えた。
江鷹の発行は終了しているので談話室を活用することにした。
青木兄は自分のことが書いてあるので遠慮したい。との意向であったが、江鷹会も12月で解散
となる。今皆に発表すべきではないか。投稿は俺がする。貴兄の名前を出すので、了承されたし。
と話したところ「貴様に一任する」と相成った次第です。以下は青木兄の矢矧に関する内容です。
矢矧では配置が決まり、私はもう一人と通信士を命ぜられ、その夜、通信長室へ着任の挨拶に
いきました。通信長は63期古田少佐です。私達に「矢矧は貴様らが居なくても立派に戦争できる。
まもなく出撃し確実に沈む。お前達は何もせんで良い。唯最後の時に下士官兵の前で恥かかぬ
覚悟だけしとけ」と宣告されました。折角張り切って乗ってきたのに、と少しがっかりしましたが
翌日からの訓練で予想される戦闘の報告電文案を色々用意しました。それと「第2艦隊出撃
を機会に呂暗号が、切り替えられる」と暗号員から聴かされ、早速新しい暗号の勉強もしました。
明けて5日午後は、既に出撃は決まっていたと思うが、私達は大和に行き、大和の人達と一緒に
第二艦隊司令長官に伺候を行ないました。終わって矢矧に帰ってきた夕刻、上甲板で何気なく
大和を見たところ、発行信号が始まりました。「宛大和艦長、矢矧艦長、発第2艦隊司令長官、
本文「大和ノ候補生ハ一時葛城ニ、矢矧ノ候補生ハ一時龍鳳ニ移乗セシム」と読めました。
「オイ、俺達はオロされるゾ」と候補生室は騒然となりました。
矢矧では出撃前夜の忙しい中、ガンルームで送別会を開いてくれました。
再び合い会うことのない決別の宴でアルコールなし、タバコなしの清清しい宴でしたが感激
しました。間もなく「候補生退艦用意」の艦内放送があり、私達は退艦の挨拶を済ませ、「花月」
に移りましたが花月では「寝る所がない。今夜は矢矧で寝て、明早朝来い」と追い返され、矢矧
に出戻りです。翌6日午前2時過ぎ、2度目の退艦をして花月に便乗。徳山に上陸、呉で龍鳳に
着任しました。 以下次回