(( 下田の 徳山君 から ・・・ 此の様な ”空母 天城” の 写真 が 届きました )) ・・・
添えられた 手紙 に 依れば ・・・
”天城” は ・・・ 彼が 卒業後 最初に赴任した 艦 で ・・・
在艦期間 は 僅か 一か月 に 過ぎなかったが ・・・
思い出 は 深い との事 ・・・
取り分け ・・・ ”天城” は ”葛城” と共に ・・・
日本海軍の 正規空母として建造された ・・・ 最後の 二艦 であり ・・・
その空母群の中で ・・・ 唯一 ”正常な状態の写真” が 見当たらない” ・・・
と されて来た 艦 で有りました が ・・・
実際には 存在して居て ・・・
平成13年 の 「天城会」 の 出席者だけ には配られ ・・・
徳山君 も 貰って居たのでして ・・・
古い書類の整理を して居たら ・・・
”出て来た” ・・・ と 送って呉れたのでした ・・・
( "天城" は 長崎三菱 で 建造され ・・・ 竣工直前に 「航空艤装」 の為 ・・・
呉 に 回航し 引き渡されたのでして ・・・ 写真は ・・・
その当時 昭和19年8月 に 写されたものと思われます )
赴任当時 ・・・
2艦 は 「呉港」 の 南の外れの 「三ッ子島」 に 繋留されて居て ・・・
艦体に 網を被せ ・・・ 飛行甲板には ・・・
宮島から 切って来た 「松の木」 を植えて ・・・ 偽装をした ・・・
”そんな思い出” ・・・ が 有る との事 ・・・
しかし その後 20年7月 ・・・ 艦載機の 空襲を受け ・・・
短くも 其の 命運 を 終わり ・・・
戦後 下掲 の写真を残し ・・・ 解体されたので 有りました ・・・