予て約定の4/6 0830 博多駅筑紫口に集う5人組は、宇木・大谷・三上・森本・渡辺の面々で、ドンピシャ車にていざ鹿児島へ!。若手の三上が草臥れるとカゴンマの大谷君がハンドルを握り、300㌔の道も論壇風発 政局から00の話まで快調そのものなり。難所人吉過ぎの角藤峠も今はトンネルに代わり スーイスイ、桜島が左に見えると間もなく鹿児島市 1145所定の00ホテルに到着せり。先発新幹線の青木君は既に30分前に到着しおえり。 永瀬兄ご家族の手配で諸事万端準備され、1200まずは集合写真からと九州江鷹会鹿児島大会は開始されたり。永瀬兄より鹿児島のクラスの現状中心の歓迎挨拶に続き、三上が九州江鷹会発足の経緯と鹿児島の積極的参加・更にこの度のご支援への謝意を述べ。折よく病床より駆けつけて呉れた有川兄の乾杯の音頭で会は愈々佳境に突入せり。
江田島特に3号時代の話・ご主人との思いで・戦時配置等続くなかで、有川君が自身の病の話をしながら、「視力は未だに2.0で小さな字も読める。まだまだ草臥れんぞ」と海軍小唄が始まった。
急にシーンとなり入り口を見れば高貴なご婦人、聞けば今は亡き楠元兄の御夫人で、所用で別の会場から差し入れに参られたとか。いや全くヨカオゴジョばかりで恐れ入谷の鬼子母神、 3時間もあっという間に過ぎ、最後は大谷君の音頭で江田島健児の歌で締めくくり申した。
夜戦これまた果敢なりしも冗長にて省き、翌7日まずは前田教官の墓前に額ずき、愈々1400開始の第2艦隊水上特攻戦没者追悼式典会場に向かった。
式典の細部等は渡辺兄の次報を待たれよ。最後に鹿児島諸兄・姉の御支援中でも永瀬ご夫妻更には御長女恵子様が長駆名古屋からBMWで駆けつけて頂き、きめ細かな御支援を賜り熱く厚く御礼申し上げます。