粗忽な弥次 0800出港間際のフェリボなる洋船に飛び込み、生まれて初めての豐予海峡横断。さぞかし行き交う船も多きことと眺むるも、漁船の他はコンテなる格好良からざる船2ハイのみ。ハタと気が付く弥次、静けき朝の海峡 南に向かい手を合わせ暫し瞑目して祈る。「往きて還らざりき我が連合艦隊の諸先輩の御霊よ、さぞご無念に御座ったろう、さりながら見事な戦振り、心よりご冥福を祈り捧げ奉る」と。
0915早くも三崎港到着。 気ぜわしく半島の馬の背を駈走、工事中の無案内にて権現山に登りかけたが予期せざる収穫、下りて走れば愈々待望の三机なり。
1030頃より一時半ば基地跡の須賀公園を探索致す。疎林の中を徘徊すれば古き社・御霊社、逝きし人魂の動きと声が身近に迫る心地あり。林を抜け南海浜の公園風平地にて慰霊碑に参拝致し候。「大東亜戦争九軍神慰霊碑」と元佐藤総理書かれし堂々たる碑なり。 基地の内容についてはクラス先発三机組の亀井・佐賀の両兄の詳細コメントを要望すること切なり。
慰霊碑に暫し額ずき「感謝と後に続かんとせし思い」を声涙交々なせり。
本日はこれにてお別れ申そう。