粗忽な弥次こと ジョン万次郎殿を漂流漁師にて単なる英語通弁としておりしが、今は亡き徳川夢声氏の揶揄されし日本薄謝協会の電気芝居にて、その不心得を自覚致した次第。さすれば先ず万次郎殿の経歴等知るべく、土佐清水北外れの資料館に駕籠を留め候。
手習い後は夕餉近しと駕籠を急がせ、一時を要して足摺岬園地に到着致すや、目の前に見上げる程の銅像が厳然と立ち居り候。これぞジョン万次郎殿・・・・
一時半程散策後、宿近くにて落日を観測致し、以後カツオなど賞味し明日えの英気を養い候。
明くれば四時半起きにて岬に駈けつけ一時半も待つも遂にお日様は顔を出し申さず、真無念至極に候。
太平洋を眼下に見る雄大なる岬に立ち、来し方行く末を案じつつ、フト思い候。竜馬殿の協調路線の基は、万次郎殿にあったに相違なしと。お日様の顔が・・と案じつつ、早駕籠は四万十川を目指し・・・。