四万十川におさらば致し半時余り、駕籠の行く手左に大河らしき土手が見え隠れ始め候。不審に思いつつヒョイト見上げる案内札には何と四万十町とのこと。フフン四万十川の大曲りかと弥次得心致した次第。更に駕籠を進めること半時、漸く今流行りの道に辿りつき候。昼餉時には間が御座る、さて如何致すか、「西条直行か、さもなくば桂浜に立ち寄り申すか」。下手な考え休むに似たりと駕籠を早め、僅かにても竜馬殿にお会い致さずばと梶を桂浜に向け候。
浦戸湾の防波堤よろしく伸びる半島の先なる狭き桂浜には、今流行りの如く群衆が押しかけ、竜馬像の丘は鮨詰め有様にて候。浜の片隅の大町桂月の記念碑にも詣で、優雅な月見を思い巡らせ候程に、フト竜馬殿の盟友中岡慎太郎殿を想起つかまつり候。
室戸岬に立つ中岡慎太郎殿は陸援隊長にして、海援隊長たる竜馬の盟友なり、しこうして二人は京都にて同時に暗殺され申した。大学教授まで致し長寿を全うされし万次郎殿に比し、夭逝されし二人の有態の差は何処に在り候や。
万次郎殿はその先見性を以って維新の成功に偉大な貢献を果たされ候と云えども、明治に至り大学教授に任じられし如く、穏健な学究肌の人物に候はずや。一方竜馬殿は万次郎殿情報を得てか対幕府穏健策を献じられ申したが、慎太郎殿共に純粋な行動派にて候。武士とは云え、中岡殿は大庄屋の倅と伺い申した。万次郎殿には悠久の四万十川の影響は有らずや。あれこれ思案致す程に早駕籠は土佐を離れ瀬戸内へと・・・。