「同期の桜」を歌ってきましたと、本多夫人らの二次会と合流の時の言葉。去年と同じく分隊会が盛り上がりました。
前列左から 元岡夫人 本多夫人 片桐夫人 安味夫人
後列左から 蜷川夫人 亀岡夫人 亀岡 蜷川 安味 片桐
日時 6月 3日
場所 箱根湯本 富士屋ホテル
一番乗りは 元岡夫人と本多夫人 続いて札幌から安味夫妻。 計10名
〃久闊を叙す〃 こと暫し 旅装を解いて、6時から「梓」の間で懇親会。昨年の会以後残念ながら塩足介弘兄と松永三生兄を西方浄土へ旅立ちました。戦死した楢原兄をはじめ10名の御霊に深い黙祷を捧げて開会。安味兄が間もなく 「米寿」 の話しから健康談議、そして新しい趣味への挑戦のことなど‥‥
予定を超えて漸く閉演。女性軍はカラオケへ、男性軍は部屋で二次会。女性軍合流後尽きぬ話は明日に残して 10時を過ぎてお開き。
翌4日 「梓」で揃って朝食後 まず板橋駅北側の松永記念館へ。 濱田館員の案内で「電力の鬼」と言われた松永安左ヱ門翁の旧邸を見学した。耳庵と号した大茶人の没年までの住居「老欅荘」は数奇ずくめで、当時の門からすぐに大欅、その樹下に黒部峡谷からの10トン余の巨石があり、それに坐してウルマンの詩 「YOUTH) の翁の名訳文を思いだし、96歳の生涯の老いを知らぬ 老青春を偲んだ。
黒部川から10トンの大石を クレーンの無い時代に 昔の国王なみです。
客のもてなしの配慮 財も隅々 最高の贅 をつくして
次いで 小田原文学館を訪れ 小田原在住であった文人の跡を見学した。ここは普請道楽といわれた田中光顕伯の洋館の別邸跡を見学した。芝と微風が心地よい。
ともに明治からの歴史に大きな足跡のある建物ばかりであるが、何故か老欅荘の欅越しに海を望む畳の部屋だけが 住居に思われてならない。
やがて 63分隊会も 女性 だけの時が
近くの蕎麦屋で軽い昼食のあとタクシーで小田原の駅まで、 そこで別れを告げた。
早雲川麓の朝風呂にゆく外通路で聞いた早川の瀬音 部屋から望む湯本駅裏の青葉のやまなみ そのなかで 次回のことを あまり口にしない 『友』 の心情が心に痛い。
2日間快晴で 何にも まして 今後の健康を祈る。
あーア しんど (~o~)
帰りの新幹線は 元岡亀岡3人一緒で
そのまま 名古屋まで グッスリ (*^_^*)
検札も来なかった。 もしかしたら遠慮したのかも。