渡辺兄の三上、森本両兄についての談話室投稿記事に感謝しながら、両兄の速やかな回復を念じつつ、終戦の月の今回は私の小学校同級生(標準年齢は72期相当)を偲んでの投稿をさせてもらいます。
私の小学校は大分県の田舎の高等科2年併設、男女共学、男子は37名で、その男子37名のうち戦死は12名(海軍関係2名)です。。戦死率は32.4%、73期の戦死率31.5%と拮抗しています。
その旧海軍関係2名戦死の一人(池田仲光君)は中学校も一緒で、彼は中学5年から72期として兵校入校・卒業したが、零戦で戦死。
別の一人(司城三成君)は高等科2年卒業後海軍を志願、飛行整備兵だったが、後で飛行機操縦に転科、昭和19年11月「第一御盾特攻隊}に参加、零戦12機と共にサイパン島のB-29攻撃に出撃特攻散華。
投稿の写真の一枚は、昔(昭和44年)購入した「ああ江田島」の中にあったもので、72期のある分隊一号の担当係別服装の仮装写真で、偶然同級生の池田君が写っているのを発見したものです。
別の一枚は、数年前自宅で特攻の話をした時に倅がパソコンで印刷してくれたものです。
私はこの2枚の写真コピーを同級生の冥福を祈る気持もあって、自分の手帳の中に折りたたんでいつも持っております。
今回投稿の写真は、その手帳の中のものをデジカメで撮ったもので、見にくいでしょうが我慢して見ててください。
写真中央の自転車を持っているのが同級生の池田君です。分隊は56分隊、福岡の大谷宏雄兄の1号対番だったとのことです。