(( 今田君から 電話 が 有り 感慨を 新たにしました ので ・・・ レポート します ))
1) 今田君 が 不測の事故 で 記憶喪失して、やがて 2ヶ年程が 経つかと思いますが ・・・ 此の間 一通り の 治療は 終り ・・・ 引き続き 絶えざる リハビリ に 励み ・・・ 周囲から も 多くの 支援の手が 差し伸べられ ・・・ 期待通り の 機能回復 を 続けて 居る と 見られます ・・・
2) しかし、 一旦 "zero ベース" に 陥った 「頭脳 の 機能」 の 回復は ・・・ 「新生児」 の 生育にも 似て ・・・ 誠に ”歯がゆい処” の 有るのも 事実で 有り ・・・ かっては、クラスの 最先端 を 往って居た パソコン操作 も ”白紙スタート” で ・・・ やっと 自力で 「談話室」 を 見る事が 出来る様に 為った ・・・ との事
3) そんな時 ・・・ たまたま 小生の 「新潟レポート」 を 目に し ・・・ 其の中 の 辻君 の 「佐渡」 と云う 地名に 触発され ・・・ "眠って居た記憶" が 甦ったんだ ・・・ と ・・・ こんな話 を 語って 呉れた ・・・
4) (( 想いで話 )) 俺は 方々の レーダーサイト を 見て来た が、”冬 の 佐渡くらい 厳しい処 は 無い” と 思うよ ・・・ 日本海 を 渡って、”湿気を たっぷり 含んだ雪” は 風上へと 伸びる様に くっついて、アンテナ の 前に 1m も溜まる始末 で、隊員の 苦労 は 大変な もんだ ・・・ 部隊 の 本部は 山の下に 有るんだが、勤務につく 隊員は 出発前に、”途中 の 遭難”に備えて、各自 に 「非常糧食」 が 渡され、隊長から 厳重な 訓示 を 受け 雪上車 で 送って貰うんだが ・・・ 途中に有る 「避難小屋」 で 下ろされて ・・・ 先は、自力で 踏み分けて 登るんだ ・・・ ・・・ 青森 の 下北半島 の 「恐山」 にも サイト が 有るが、「佐渡」 の 方が 厳しい と 思う よ ・・・ 俺は 別に ”用 は 無かった” が ・・・ ”隊員の労” を ねぎらって遣りたくて、冬の現地まで 行って見たが ・・・ 隊員 は 喜んで呉れたなー ・・・
5) 今田君の 頭の中 には ・・・ {記憶} は 確実に 残って居て ・・・ 唯 其の脈絡 だけが 切れてしまったので 有りましょう ・・・ 此れから は ・・・ 続々と 甦って行くものと、思われます ・・・ 期待して、見守りましょう ・・・
(( 探して見たら こんな写真が 出て来た ので、掲げて見ます )) ・・・
① ・・・ 昭和23年9月 静岡県沼津 小生が 魚群探知機工場の一遇で 自炊生活をして居た頃、
彼が岡山から東京へ出て来た帰りに 寄って行った
② ・・・ 昭和26年 同じ場所 で
③ ・・・ 昭和38年6月 小生が横浜に移り住んで、彼も関東に居て ・・・ 観音崎 へ 行った時