4月7日枕崎で行なわれた「第二艦隊戦没者慰霊祭」に参加し、翌日の8日に指宿に向かった。
「指宿海軍航空隊基地哀惜の碑」に御参りするためである。ここには台北一中の先輩で
海兵70期 銀屋 温氏が祭られているからである。 名盤のご尊名に手を当てた後参拝を終え
た時、どこからともなく聞こえてきた「ウグイスの声」に感無量の気持ちです。
偶然乗り合わせたタクシーの運転手の叔父さんがこの航空隊に勤務していたとのことで話も弾み
其のタクシーが指宿で1台しか走っていない「たまて箱タクシー」ということで長崎鼻にある
竜宮神社のお守り札を戴きました。 世の中いろいろなことがあるものですね。
「第二艦隊慰霊祭・・」この海の先200海里の所に大和、矢矧などが眠っています。
「指宿海軍航空基地哀惜の碑」・戦いに生き残った者と心ある指宿市民により1971年5月27日
この碑が建てられました。
碑 文
君は信じてくれるだろうか この明るい穏やかな田良浜が かって太平洋戦の末期
本土最南端の航空基地として 琉球弧の米艦隊に対決した日々のことを
拙劣の下駄ばき水上機に 爆弾と片道燃料を積み 見送る人とてないこの海から
若き特別攻撃隊員が 八十二人にも達したことを
併せて敵機迎撃によって 果てた百有余人の基地隊員との 鎮魂を祈って
ここに碑を捧ぐ
備考・・このスクロール写真は1枠500KB以下の容量です。談話室規定内で納めています。