第2日 4月10日 (火) 晴
旅程
0700 朝食 6F
0730 濃霧
0820 「フェリーしらしま」に乗船 島後西郷港出港 霧次第に霄れる
0940 島前中ノ島 菱浦港着
1000 後鳥羽院御火葬塚 隠岐神社参拝
1125 菱浦港発 西ノ島美田港に交通船2隻に分乗向かう
1205 美田港着 桟橋に隣接のレストラン海遊園にて昼食
食後に浦郷在住の重谷由美兄が同園に会いに来てくれる
1300 西ノ島観光に出発 バス ガイドは観光協会の方
1320 赤尾展望台
1420 摩天涯 駐車場南隣に山本幡男の碑(シベリヤ抑留関連)
2組に分かれ写真を撮る
1500 通天橋
1545 由良比女神社参拝 社前が「イカ寄せの濱」
1620 宿泊のりゾ隠岐ロザージュ着 (ロザージュは石楠花(仏語))
1900~2100 夕食会 1F
見と想(見たことと想ったこと) ← このことが旅(その1)では記載漏れ、加筆を
お願い致します(高田 忠)
1 濃い霧
朝食の頃は西郷湾入り口付近の赤灯台も霞む濃い霧であったが出港の頃は大分霄れた
西風の強いなか上甲板で風光に見入るご婦人もあった
2 後鳥羽院旧跡 隠岐神社
菱浦港から東へ約3Km 隣の諏訪湾の湾奧に後鳥羽上皇の旧跡がある 緩い坂道を
登ると後鳥羽上皇御火葬塚その奥が源福寺(行在所)跡である 上皇の崩御の後墳丘に祀
殿をいとなんであったが明治6年大阪の水無瀬宮に神璽御還幸合祀された 御火葬塚はそ
の墳丘祀殿の跡である 源福寺は明治維新後の廃仏毀釈で灰燼に帰し 今はその地に行
在所跡の木柱が立つだけである 拝して右に途を辿り隠岐神社(700年式年祭の昭和14
年建立)に参拝した 見渡せば境内には上皇の御歌が多く掲げられており ふと後鳥羽
上皇配流と同時の承久3年7月佐渡に配流された順徳上皇を思った 社前からのなだらか
な下りの参道の両側は満開の桜並木で 多くの期友との記念写真に漸くにして加わりえた
社号碑の近くに加藤楸邨(隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな)と宮柊二(島山の太き腹部
を一刀に断ち落したることき垂直)の歌碑がある
3 赤尾展望台 摩天涯 通天橋
西ノ島の焼火山を右に見て菱浦港から美田港に至る約30分の交通船による巡航は春風に
吹かれて内海の景を楽しんだ 退院し静養中の重谷兄は快方に向かっている
赤尾展望台は國賀海岸(国名勝天然)の南端 ここから赤茶色のアルカリ玄武岩の奇岩断
崖が北に続く 途中の丘には馬と牛の放牧が間近に見られ 山地には桜花が点々の絶景
摩天涯へは駐車地から芝生を約300m程歩く 國賀の佳景は南西に開け 眼下の急スロ
ープを下れば通天橋であるが一旦バスで南に戻りローソク島を望む丘に着く ここから七曲
りのッ急坂を下りローソク島を左に眺め 海辺から北に少し登ると通天橋が眼前である
やはり國賀海岸第一の美景である 連続のシャッター音で名勝を堪能し 後は登り坂の苦
渋 約9割が絶佳の景にひかれて険路に汗した
4 イカ寄せの濱
美景に酔った後バスは東へ 小丘を越えて延喜式内大社由良比女神社に参拝した 航海
の守護神で 社殿正面の欄間にイカと桶の彫刻がある この前方の入り江の濱が イカの
大群が将棋倒しになったという 「イカ寄せの濱」 である
5 夕食会
この上もない好転のもと 「桜に汗に」 の島前の一日をロサージュの湯で流し 夕食は演歌
で盛会となった 山桜岬に白き西ノ島であった
(続)