9月1日倅同行で佐賀市近郊の低山に登ったついでに佐賀県立博物館に足を延ばし、閉展前日の「洪浩然を伝える」展を見学した。
洪浩然(こうこうねん、1581~1658年)は文禄・慶長の役の際に、当時12歳で佐賀軍に捕えられ、佐賀に連行されて佐賀藩主鍋島直茂・息子の勝茂に仕え、能書家の祐筆として重用された。
同年齢の勝茂の死去の際には子孫への訓戒の「忍書」をしたため、追い腹を切って殉死した。
私の901分隊1号の時の2号75期の洪俊夫君から今年4月同君の自分史ともいうべき「海軍・キリスト教・洪俊夫」を貰ったが、そのなかの「洪とルーツのこと」の項目にも前述の「洪浩然」の記述があり、同君が始祖浩然から第12代目の当主に相当するとのことであった。
またご父君の洪泰夫氏が兵33期、海軍少将であることも初めて知った。
展示室には関係遺品等のほか、「洪家の今」という題目で日韓両国の「洪家」の方達が平成20年10月、22年11月、24年2月に日韓両国の地で会合されている写真もあった。
竹島問題で日韓両国の騒然たるときだが、あえて投稿した。