(3人の妹と梶吉夫人澄子夫人と小生更に長男茂君に囲まれて)
去る9月29日 故辻本 懿君の法要が明西寺(調布市仙川)で行われ、熊本から兄を慕う妹3人始め親戚30人近い中、故梶吉秀典君夫人と小生の二人が招かれました。読経・墓参の後、全員バスで日本橋「たいめいけん」に移動、個人を偲ぶ会となりました。
彼と小生との縁(彼は熊本、小生は鹿児島 西南の役から既に100年経過)は戦後のことで、虎ノ門のブレークモア法律事務所にいた彼と、溜池に勤務していた者がアフターファイブで会うようになり、伊東・梶吉・生出・勝俣等で新橋銀座を彷徨ったことから始まる因縁腐れ縁です。
宴は、息子から見ても「父はユニークな人でした」という長男茂君の挨拶で始まりました。指名を受けた小生は、それに図々しい男でもあったことを付け足し、発足間もないクラス会の事については、並々ならぬ貢献があったことを披露しました。
この席では時間も無いので話しなかったのですが、昭和20年代の後半、クラス会の事務所も、今は亡きクラスのI君の彼女が開いていた天麩羅や(溜池)に置いたこともあり、この辺の事情をもっと知りたいのです。 確か故安藤 伸君も関係していたと思います。
今となっては忘却の彼方、何方か思い出して頂きたく、故人の為にも古き良き時代を懐かしんでキイを叩いています。
33年もの大昔先に逝った天国から彼独特のだみ声声援が聞こえてきます。
(尚 I君とは いとう・いのうえ・いけ等ではありません為念)
(以上)