(他愛も無い道草を食って居る内に、早くも5月は終わろうとして居ります ・・・ 百周年のこの記念すべき年に、彼の『日本海海戦』に触れずして終わっては、是枝君をイラ付かせばかりで無く、 己にとっても 悔いを残す事必定なれば・・・・ と思い定めて、拙い論説めいたことをして見ます)
『独断専行』なる言葉は、海軍兵学校に入学して初めて聞き、其れも度々聞く内に、何と無く ”独り勝手な行動”と云った良くないイメージを持つに至ったのは、小生一人とは言い切れないのでは無いでしょうか ・・・
処が、 彼の『日本海海戦』の記録(『東郷』5月号)を読んで居る内に、”此れこそ、『独断専行』の模範例だ” と思う事態に遭遇しました (”今頃やっと気が付いたか” と思われる方が多いいかと思うますが、 お見逃しのほど願います)
下図は同誌から引用した『同海戦戦闘図』で、 明治38年5月27日の1355(Z旗掲揚)から1533迄の 彼我の航跡を示して居り、 上(北)側に位置して居るのが日本連合艦隊の第1,2戦隊(1S,2S)、下(南)側がロシヤ艦隊です。
(今回取り上げるのは、2S(一点鎖線)を指揮する上村将軍の行動であります)
1406(航跡最左端) 敵前大回頭をして、敵の針路を遮りやがて激しい砲撃戦の末、 やがて1500に至り敵巡洋艦からの魚雷攻撃の危険を感じた東郷司令長官は、此処で ”左90度一斉回頭”を命じたのだったが、 この動きを見て取った敵艦は右へと針路を取り、ウラジオを目指した ・・・ 此れを見た上村将軍は 一斉回頭の指令を無視して直進、砲撃し、その意図を挫いたのでした ・・・ 此れは、事前に繰り返し示されて居た司令長官の作戦意図(絶対にバルチック艦隊のウラジオ入港を阻止する)が良く浸透して居て、一刻の猶予も許されぬ中、上官の了解を得ぬまま、上村将軍が自己責任に於いて単独行動を取ったもので・・・ この事は、一面「軍規違反」では有るが、大局的には司令長官の作戦を立派に補佐したのであって、これぞ将に 『独断専行の模範』と云うべきと思う次第であります。
5月31日 小宮山 玄二