前回に主張したように、我が国の現状を生み出した要因の一つは『倫理感』の欠如(或いは偏り)と信じて居ますが ・・・ 「倫理感」は「徳目」としては静的なもので、是が「行動」に反映されて、初めて 『美徳』となるのだろうと思います。
此処で求められる物として、『いさぎよさ(潔さ)』が考えられます。
戦後 次々と繰り広げられて来た「人災」を辿って見て、其処に登場した関係者に、これ等の徳目が備わって居たとしたら・・・ どれ程、被害者の蔓延を抑え、処理の期間が節減された、或いは、される ことだろうか・・・・ ((「水俣病事件」、「エイズウイルス事件」・・・「建築強度偽装事件」・・・))
考えて見れば、この 『いさぎよさ(潔さ)』こそは、 我が国古来の「武士道精神」の筆頭に掲げられて来た物で有りましたが、戦後いち早く、”最も アホラシイもの”の一つとして、 捨て去り、 省みられずに来たのではなかったか。
しかし、是こそは、己の「身の程」を弁え、持てる「倫理感」を適切に発揮させる『原動力』になり得る物では無いだろうか。
若し、今の世に、静的徳目の『健全な倫理感』と、動的徳目『いさぎよさ』を及ぼし得たならば・・・・・
故人曰く、 ”過ちをあらたむるに、憚る事無かれ”
12月14日 小宮山 玄二