YKKのK
外務省キャリアー、チャイナスクー出身。今でもチャイナスクールの系譜にあります。幹事長、官房長官のかっての権勢はありませんが、マスコミが政権批判する場合のコメント役として利用されています。総理の靖国参拝、総裁選がらみで最近テレビ出演が多くなっております。
参拝前日の8/14日午前の作家 上坂冬子氏とのテレビ対談で、上坂氏から「8/15を8/13にしたのはあなたですか」の質問に対して目が点になって「そうです」。重ねて「それは支那から云われたのですか」に更に目がおよいで「そうです」と答えていました。
しかし、一説によれば、支那政府関係者から「15日からずらせば、そんなに反発しません」と耳打ちされた福田官房長官、山崎拓幹事長から「相手の立場も考えろ」と詰め寄られて、首相は「公約」を2日繰り上げてしまった。にも拘わらず、支那は早速非難声明を出すなど反発したため、「首相は『裏切られた』と大泣きで後悔していた」(周辺)といいます。
8/13日にずらしたことが「小泉 組し易し」となって、その後の5年間に大きな影響を残しました。「われこそは、8/15を8/13に変えさせた功労者だ」と思う向きは、上海総領事館員のハニートラップによる自殺者以上の責任を感じてもらいたいものです。
05年、首相の靖国参拝が、支那の有人宇宙飛行成功の祝賀行事と重なった時、“K” 曰く 「中国側が、日本が意図したものではないかと勘ぐる恐れがあるため、もう少し考えるべきであった」と。 日本人がアチラの宇宙事業を国を挙げて喜んであげる必要もありません。200発から800発へ東支那海方向に(当然 日本方向にも)向けて急速にミサイルを配備している国が宇宙開発したから喜べとは、およそ日本人の発言とは思えません。
期せずして、チベット弾圧の論功行賞で駐日大使に抜擢された王毅大使が「人民がこぞって祝っている最中、世界各国から祝賀を寄せられている中で、隣人の日本からの『プレゼント』は、なんと靖国参拝でした」と “K” とそっくりの発言をしています。
“富田メモ” で「これで分祀に、はずみがつく」と嬉しそうに笑った“K” の顔が印象に残っています。
“加藤の乱” で「親分なんだから」と涙顔で擦り寄り、総裁選では早々に「私は靖国には参拝しません」と宣言した候補者の推薦人になり、まさに、この子分にしてこの親分ありです。
御用聞きスタイルはどこまで続くか ! ?
(本日〈11日〉午後の総裁選公開討論会〈NHK TV〉を聞きながら《某候補の討論を砂を噛む思いで聞きながら》 ついつい長文になりました。 御免蒙ります)
日本経団連
「写真」
5 日本経団連(御手洗会長)御一行が多勢、北京の人民大会堂(写真 上)で温家宝首相と会談。例によって「できるだけ早く、政治的な障害を取り除くことが必要」との紋切り型で会談が始まっております。
「写真」
出先の在日大学教授、駐日大使から最高位の胡錦濤総書記に至るまで、まるで金太郎飴のような一糸乱れぬ、日本の弱点を知り尽くした紋切り型は、さすが一党独裁、共産体制(写真 下 は個人崇拝、一党独裁のシンボル 天安門)ならではであります。
政治的な障害(靖国問題)を云い出したのは、毛沢東、周恩来、鄧小平以降のことであり、江沢民の大号令によるものだと思います。
従来の経済団体との会談の大半は政治問題と日本批判だったようですが、今回は40分のうち数分だったと聞きます。このような方向にあることは偏向メディア以外から聞こえてくるようになりました。
しかし 「政治的障害が取り除かれればハイレベルの交流はすぐにでもできる」 「両国友好に心ある皆さんが積極的に努力することを期待する」と、恫喝ともとれる締めくくりだったようです。
8月下旬、拉致家族、支援組織が訪問して政府、研究者との面会、意見交換が予定されていましたが前日になってドタキャン。事前に北朝鮮に情報がもれたためとされていますが、まずいと思ったのか、8/30にある民間団体との面会が許可されました。 “藁” よりも “拉致関係者” を大事にしたほうが、日本では、“カブ ” が上がるとおもいますが。
拉致関係者をドタキャンしても、 “藁” にもすがり、“藁” をも利用しようとする魂胆が見え隠れします。