「写真」 1・2・3
最近、 映画の公開に端を発し、「硫黄島」に対する関心が高まって居ります ・・・
(( たまたま、小生は 3年前(平成15年2月)に、「飛鳥(初代)」でのクルージングの折、サイパン島から横浜への途中で、「硫黄島」を一周して、其の佇まいを良く眺めさせて貰いまして ・・・ 其の時の感慨が、今も胸の内に熱く残って居ります )) ・・・ ( 其の時撮った写真が有りますので、この際、諸兄に見て貰おうと思い、今田兄に相談したら・・・ OK して呉れ、目下準備中です)
・・・ と云う事で、 今回は其の前段階として、 硫黄島に纏わる歴史を攫って置きたいと思います ・・・
(発端) この島は、1543年(天文12年)スペイン人により発見され、其の後イギリスの探検家ジェームス・クックの部下が太平洋探検中に立ち寄り、「サルファー・アイランド(硫黄の島)」と命名したとのこと ・・・ 明治22年に硫黄採掘の為、日本人が入植し、同24年に日本への帰属が決まり、「硫黄島」と命名された。
(行政面) 現在は「東京都小笠原村」とされて居るが、その過去には、昭和15年に「硫黄島村」とされたが、昭和20年米国の施政権下にはいり、解村、同43年返還に伴い、小笠原村となった ・・・ (現在住民は無いが、かっての住民は、28世帯367人との記録が有る)
(大きさ) [面積 23.16平方km][周囲 22.0km][標高(摺鉢山)161m]
((戦闘)) 昭和20年1月末、 [硫黄島攻略]を決した米軍は、大船団でパールハーバーを出港、サイパン島に至り、テニアン島で最後の「上陸演習」を行った後、2月16日 目標海域「硫黄島・南海岸沖」にいたり、 其の後3日間の砲爆撃を行った上・・・ 19日上陸を開始したので有りました・・・
・・・ その時の状景を示すのが、 上掲の写真で有ります ・・・
・・・ 平成15年2月24日 「飛鳥」は、将に其の時の「米軍の進攻路」に準ずる航路を進み ・・・ やがて、 水平線上に其の島影を望んだのでありました ・・・・・・ (( 其れからのことは、 次回に譲る事としましょう))
(下掲図)は、[其の時の「飛鳥」の航路図]と [現在の硫黄島の地図]です ・・・ (よく見ると、中身は濃いと思います)
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