ブリッジは院長室でやることに決まりました。時々ホットミルクや菓子も出ました。田舎の、しかもワンマンの病院では、看護婦は院長の私兵みたいなものですから、サービスしてくれました。始まってから判ったのは、副院長は口で言う程の上手ではありませんでした。碁や将棋と同様に、ワンゲーム終った後、元通り4人に各13枚配って、最初のビッド(入札)は正しかったか、レスポンスは良かったかを復習する訳ですが、解説は私任せで副院長は専ら頷いていました。
処で結核の治療には、栄養・安静・適度な運動が不可欠です。午前1時間、午後2時間の安静時間が設けてあります。トイレ以外でベッドを離れてはいけません。看護婦の巡回も検温も無く、院内が静まり返ります。夏の盛り頃から、この時間になると院内マイクで、”7病棟の森本さん、院長室にお越し下さい”が流れるようになりました。ほぼ毎日です。ブリッジ開始の合図でした。各病棟から1人、2人と足音を殺して1階に行きました。ヒマとは恐ろしいものです。「クローバー」とか言ってた人が、Six(13組中12組を取り込む)に成功することもありました。
8月末、診察の際私は思い切って副院長に尋ねました、”いつ頃退院できるでしょうか”と。驚いたことに、返事は、”そうですね、ぼつぼついいでしょう”でした。9月上旬私は帰宅し、診断書を会社に提出して、21日から復職しました。思えば、無実の罪で6ヶ月の「遠島の刑」に処せられたようなものでした。以後2度と結核云々はありません。
最後に、是枝兄が期待されるような艶聞は残念ながらNOでした。ただ、遠路草深い田舎へ、伝染病の風聞も気にせず、2度も見舞いに来てくれた会社の女の子が亡妻という次第です。