闘将山口多聞司令官は、三号以来本当の指揮官として尊敬して来た。ミッドウエーでの意見具申・叶わずもあの鬼神にも勝る戦ぶり、もし連合艦隊司令長官であられたなら、指揮官先頭にてハワイの2撃・3撃はおろか、あの戦に勝機すら有ったと思い巡らして来た。
偶々月刊誌「歴史街道」8月号(7月初め発売)に同司令官の特集があり、生涯年表を含め各戦場での闘将ぶりが克明に紹介されていた。
驚いた事に、ハワイでも基地施設・油タンクさらに敵空母を求めての再攻撃を強力に具申され、またアメリカ本土への攻撃まで海軍上層部に意見具申されていた。3度4度今もベッドの脇に置き精読し、長年考えていた以上の闘将であったと一人肯き、思いを彼方に馳せて居る。
夢は前前夜に見その通りだが、男児が生まれ直ぐ亡くなり又代わりの男児が生まれ、名を「多聞」と命名した。
エイジシュートとの係りであるが。いい夢を見たエイジシュートの予感有りとスタートするやアウトは1オーバーでやったぞと有頂天。7つ余裕ありと出た10番ダボ次もダボ12番のショートもワンオンしたが3パットのボギー、後2つしか無い。何時の間にか守りに入って居た。そこで多聞司令官、赤城・加賀炎上、(飛竜1隻にて「全機今ヨリ発進、敵空母ヲ撃滅セントス」}。先輩に続けと動ぜず果敢に攻め、バーデイー・パー・パーと行き、1つボギーあるもバーデイー・パーで締めくくった次第。長くなったたが今1つ、多聞司令官は九州恐らく薩摩御出身と思っていたが、東京は開成中学、直ぐ慶典・・ウム流石と思った。長時間怪談御付き合い多謝。