5月17日(日)午前掲題の行事に参列したので同墓地について紹介します。
1 墓前祭は、主催者を、戦後のある時期から横須賀市として行われていたが、現在は地元大津観光協会等及び横須賀水交会、隊友会横須賀支部の6団体を以って行われている。海上自衛隊から儀仗隊の派遣、式場整理等の支援が行われている。今回は、横須賀市長はじめ自治体、遺族、地元等関係者、一般参列者等々約200名が参列した。海上自衛隊からは横須賀所在各部隊指揮官が参列したが、地方総監部、自衛艦隊、護衛艦隊、潜水艦隊からは各幕僚長の参列であった。これも時勢の赴くところか、残念である。
式次第は次の通りで、厳粛のうちに斎整と行われた。(1)開式のことば(2)一同拝礼(3)国歌斉唱(4)追悼のことば(主催者代表、横須賀市長)(5)儀仗隊拝礼(6)献花(参列者全員)(7)
儀仗隊弔銃発射(8)黙祷(9)閉式のことば
2 旧海軍墓地の沿革(出所:大津郷土史昭和56年11月発行による)
この墓地は、明治15年1月海軍省が戦没等による海軍軍人の埋葬地として設置し、以来横須賀鎮守府の管理のもとに多くの戦死者及び殉難者を埋葬してきたが、大東亜戦争敗戦により海軍省が廃止されたため横須賀地方復員局が管理を引き継ぎ、更に昭和24年4月から横須賀市がこの墓地の維持管理を引き継いで現在に至っている。
なお、昭和26年3月同墓地は国から横須賀市に譲与され、横須賀市は旧海軍墓地の尊厳を損なわない範囲内で墓域を拡張して一般墓地を造成し、一般市民の利用に供している。
所在地 横須賀市根岸町1丁目 面積 24,528㎡
所在する記念碑、墳墓等
軍艦 河内 殉難者之碑(大正7年7月徳山港において爆沈の際の殉職者621名を慰霊)
軍艦 筑波 殉難者之碑(大正6年1月横須賀港において遭難の際の殉職者152名を慰霊)
特務艦 関東 殉難者之碑(大正13年12月若狭湾において座礁の際の殉職者68名を慰霊)
北京籠城軍艦 愛宕 戦死者之碑(明治33年北清事変の際軍艦愛宕から陸戦隊員として北京 に派遣され籠城中戦死の5勇士を慰霊)
上海事変戦死者之碑(昭和7年上海事変において戦死した59名の英霊を慰霊)
第四艦隊遭難殉職者之碑(昭和10年度海軍大演習における台風等による遭難殉職者36名 を慰霊)
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