先日山しぶき会の田野君から浄瑠璃姫伝説についての話があった。私も初めてなので例によ
ってインターネットで調べたら「横浜線沿線公園探訪ー長池公園」の所に詳しく浄瑠璃姫物語
が出ていたので抜粋します。田野君、参考にしてください。
この長池公園にはひとつの哀しい伝説が伝わっている。伝説は相州大磯で漁師が薬師如来像
を拾い上げたことに端を発する。海面に三日三晩光り続ける不思議な場所があり、網を投ると
朽木の薬師如来像がかかったというのだ。時は聖武天皇の時代というから700年代の
前半であろう。後にこの地を通りかかった三河の岡崎四郎がこの薬師如来像を城に持ち帰った
子の無かった岡崎四郎は薬師如来像を拝み、やがて娘(浄瑠璃姫)が授かった。
浄瑠璃姫は後に武蔵国の小山田太郎高家の側室となるが、このとき姫は薬師如来像を父から
譲り受け、持参したという。この小山田太郎高家は現在の町田市大泉寺に居を構えて小山田荘
を治め、後に北条時政によって一族離散となった小山田氏の末裔といい、新田義貞の鎌倉攻
めに従った武将である。小山田太郎高家は鎌倉幕府滅亡の後も新田義貞に仕えたが、やがて
足利尊氏軍との「湊川の戦」で主君新田義貞の危機を救って自らは討たれてしまった。
高家の死亡によって小山田氏は離散、残された浄瑠璃姫は薬師如来像を背負って侍女十三人
と共に長池に身を投げた。延元元年(1336年)のことであった。
それから二十五年が過ぎた延元25年(1361年)蓮生寺の住職教山が長池のほとりを歩いて
いると池の中に光るものがあり、やがて汚れた木片が現れた。木片は薬師如来像であった。
住職は像を寺に持ち帰り堂を建て供養した。以来話を聞きつけた人々の参詣の足が絶えなか
ったという。
現在長池を望む公園内の散策路脇には浄瑠璃姫の碑が建てられ、伝説を今に伝えている。