「十二段草子」という浄瑠璃作品が、別名「浄瑠璃(姫)物語」と呼ばれる。作者は「小野お通」と言われていたが、江戸後期に否定され、作者不詳である。物語はこうだ。
金売り吉次に連れられて奥州へ下る牛若丸が、三河国矢矧で長者の娘浄瑠璃姫を見初める。一夜の契りを結んだ牛若は駿河で病を得て死に瀕する。正八幡のお告げでこれを知った姫が駆けつけて助ける。本復した牛若は素性を明かし、再会を約して姫を矢矧まで天狗に送らせた後、平泉に向かう。
この物語が流行して、”浄瑠璃”が語り物の代名詞になったとされる。
古いジャポニカには、ここまでしか載っていない。二人の再会はあったのか、何故「長池」に碑があるのか、探しても後日談は見付からず仕舞いだった。
渡辺兄の「聖武天皇」時代と、この判官物では時期も随分異なる。渡辺説が初めから終わりまで話の筋が通っているのに対し、この説は糸の切れた凧である。恐らく九郎判官を巡る諸伝説の一つとして、軽く語られた一コマだろうと私は推測する。