我等弥次喜多2人組は、19日0530喜多氏の妻女に見送られ勇躍中野の宿を出立。新宿にて今流行りの火車に乗り換えいざ成田へ。喜多さんニヤニヤしながら大きな包みを開けばこれ如何に、ご妻女手造り初見参の豪華朝餉、終いには長崎は茂木オランダ仕込みの枇杷なるデザートを頂き、余は満足の態にて早コクリコクリするも火車はただただ成田にひた走る。これでは大連に何時着くか分からぬ、以下簡略にて前に進み申そう。我等ツアー老老若男女合わせ80余名成田を1000発ち、スモッグを突き抜ければ早や大連空港1215(現地時間1時間遅れ)着。猛烈に下手くそなガイドに案内されまずは旅順へとバスで向かう。
旅順港(スモッグの為転写) -中央前方が閉塞隊敢闘の湾口
203高地 乃木第3軍司令官直筆の碑「爾霊山」(後方が攻撃正面、手前が旅順港)
喜多さんやりましたー上品な喜多氏急坂15分堪らず駕籠ならぬオートバイで、往復100元を登り50元に負けさせたはよいが、目当ての美形ドライバーに肘鉄され、悔しそうな顔でむくつけき男のお尻にしがみ付くーパチリとやったのに空打ちとはーああ如何にせん(蛇足ー碑の丘の片隅に表札ありー「日本侵略の証拠で屈辱」)
旅順港東側の海岸ー切り込みは高地のロ軍堡塁(何故か港を向く)スモッグかくの如し
水師営(豪農の家であったとかー再現)
喜多氏親友の閻氏一族 (御主人は東・京大留学大学教授、子息専修大学7年間面倒見る)弥次さんより流調な日本語、度外れの親切ー喜多氏の人柄・永年の交誼が偲ばれる )