弥次喜多ご両人頭を捻りながらの350キロの旅、時折停まる駅はアナウンスも無く、駅名もホームの端にチョコリ、これじゃー何処か分からぬ。喜多さん寺小屋時代の記憶を訪ねるがいまいちと云う按配。ガイドに追われて下車した途端喜多さん曰く「ここ奉天と違う、奉天駅は東京駅そっくりやが」、新しい「奉天北駅」で昔の田園にビルが建ち並ぶ。奉天は陸軍記念日の記憶のみだが、何と後金・清の発祥地の古都であり遼寧省(大連も含む)の省都でもある。
清昭陵(別名北陵)表門に立つー右上切り込みは参道で本殿の門まで1・5キロ、左上のように車で参る
左 博物館 古文字(チャキチャキ 紅4点) 右 故宮(北京の12分の1)喜多さんMMC
車中の1コマー右の2人は曰くあり
興味のある方へ;奉天会戦図ー第3軍・秋山支隊の活躍が偲ばれる(中央左の「大石橋」1個旅団が雪崩を打って退却) 南 黒溝台・沈且堡は前哨戦での大苦戦地
遅くなり申し訳なし、実は戦好きの弥次さん「近代日本戦争史第1巻(650余ページ)」を再読せるも良き知恵浮かばず